もし“早期退職者の集い”があったら——静かな孤独と国家の不安

ふと、こんなことを想像してみました。
「会社都合で早期退職した人たちだけが集まる催し」が、もしあったら——。
どんな雰囲気になるのか? 誰が来て、どんな会話があり、どんな気持ちが残るのか?
この記事にははっきりとした主張があるわけではありません。ただの“空想”です。
でも、その空想の先に、少しだけ現実の懸念が浮かんできたのです。

なぜこんな催しを想像したのか

  • 自分が退職後に感じた漠然とした孤独と、出口のなさ
  • ネットで検索しても「早期退職者の集い」などは見つからなかった
  • あったら面白いかもしれないし、「自分だけじゃなかった」と思えるだけでも救われる人もいるのでは?

催しの目的を考えてみた

  1. 終身雇用の崩壊で不安を抱える人への社会的ケア
  2. 国や自治体が“中高年層の実態”を把握するための情報収集
  3. 人手不足業界との接点としての機能(ただしブラック企業回避の仕組みは必須)

当日の様子を想像してみる

  • ホテルの一室、立食形式(椅子あり)、静かに始まる
  • 誰も話さず料理を取るだけの沈黙の時間
  • 「あ、久しぶり」と偶然の再会で少しだけ空気が和む
  • 黙々と飲食している人には主催者や企業担当者がそっと声をかける
  • 参加費は2,000円程度、人手を探している企業のパンフレットも自由に持ち帰れる
  • 途中退席もOK。「合わなければ帰っていい」という空気

現実的に考えると難しい点もある

  • 国や自治体は他に優先課題(就職氷河期・少子化・財政問題)を抱えていて、こうした早期退職者の層まで手が回らない
  • そもそも早期退職者の所在や属性を国が把握していないため、催し開催の告知の術がない

空想の先にある“現実的な危機”

それでも、なぜこの記事を書いたのかといえば、
ただの空想の奥に、現実的な不安があると感じたからです。

この先、毎年のように企業が早期退職を繰り返し、
中高年が再就職もままならずモチベーションを失っていったとき、
“生活困窮”という形で社会不安につながる可能性は決してゼロではありません。

実際、中国では若者の失業率が高まり、絶望した一部の若者が事件を起こしたという報道もあります。
日本でも「あのとき対策しておけばよかった」と後悔する前に、
静かに進む“中年の孤独と困窮”に、今のうちから目を向けるべきなのではないでしょうか。

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