会社を辞めてしばらく経つと、「あの会社、今どうなってるんだろう」と気になってしまうことがあります。
別にもう関係はないはずなのに、なぜか四半期ごとに決算情報をチェックしてしまう——
そんな自分をちょっと変だな、と思いつつも、これが案外やめられなかったりします。
今回は、そんなときにふと感じた“ある感情”についての話です。
会社都合で早期退職をしてから、ある程度の時間(約3年)が経ちました。
当時は割増退職金も支給され、「円満退職」のような体裁ではありましたが、正直なところ、今でも引っかかっている部分があります。
表向きには「希望退職」でしたが、実際は“もう残れない”という空気の中で、選択を迫られた。
要するに、「要らない人材」として整理されたという現実がある。
その事実を、どう飲み込むか——それは思った以上に、あとを引いています。
私はいまだに、四半期ごとに前職の会社の決算短信を読みに行っています。
もう習慣のようなもので、会社のホームページを開いて数字をチェックする。
そして業績が思わしくないと、なぜか少しホッとしている自分がいることに気づきます。
「やっぱりな」
「自分がいた頃とあまり変わってない」
「だから辞めてよかったのかもしれない」
そんな感情が、静かに湧き上がるのです。
それだけではありません。
心の奥にはもう一つ、あまり認めたくない感情も潜んでいます。
それは、
「自分たちを切ったことで業績が回復すれば、それは会社の思うつぼ。そうはなってほしくない」という気持ち。
会社がとった“人を切る”という戦略が、「失敗だった」となってほしいという、少し意地の悪い感情。
自分でも「素直じゃないな」と思います。
でも人間って、そんなにキレイに割り切れるものでもないですよね。
もちろん誤解しないでほしいのは、私は別に会社に残りたかったわけじゃない、ということ。
あのまま働き続けていたら、心身ともに限界だったと思います。
だから、「辞めたこと」にはむしろ救われた部分もあります。
ただ、「辞めさせられ方」には、いまでも納得しきれていない。
引退セレモニーもなく、惜しまれることもなく、
プロ野球選手のように“拍手で送られる引退”など会社員にはほぼ存在しない。
どちらかといえば静かに、そっと、フェードアウトさせられる。
会社は割増退職金という形で“けじめ”をつけてくれたのかもしれません。
でも人間の気持ちは、金銭だけで割り切れるほど単純ではありません。
「あなたがいたから支えられていた」
そんな一言があったなら、きっと心の整理のつけ方も違っていたと思うのです。
だから私は、いまだに業績が悪いと少しホッとしてしまう。
「やっぱり、あの判断は間違ってたよね」と、そう感じたいだけ。
大きな意味があるわけではありません。
ただ、それだけのこと。
でもきっと、私のように感じている人、少なくないはずです。
もしかしたら、こういう感情は“いけないこと”なのかもしれません。
人の失敗や停滞を見て、どこかでホッとしてしまう自分がいる——
そんなこと、誰にも言えないし、言ってはいけない気もする。
でも、実は内心でそう思っている人って、決して少なくないのではないでしょうか。
表には出さず、誰にも言わないけれど、
心の奥に、そっとしまっているだけ。
この記事が、そういう感情を「それでもいい」と思えるきっかけになればと思っています。
割り切れないままでもいい。
そう思ってしまう自分もまた、ちゃんと頑張ってきた証なんだと思えるように——
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