「退職してから思考力が落ちたな……」と感じたことはありませんか?
私もかつてそう思っていました。
でも3年経った今、ようやく分かってきたのです。
——思考が止まっていたのは、「退職後」ではなく、むしろ会社員時代の終盤だったのだということに。
再就職支援会社での“ある一言”
早期退職後、私は再就職支援会社に通っていました。
そこで担当者からこう言われたのです。
「一度も転職せずに長く同じ会社で働いてきたことは、転職市場ではむしろ“有利”になりますよ」
そのとき私は、「そうか、長く一社で勤めたことが評価されるんだ」と素直に受け入れていました。
でも今思えば、そこには決定的な“ズレ”がありました。
ハローワークからは、1本の電話も来なかった
実際、私は失業保険を受給していた10か月間、ハローワークから一度も仕事を紹介されたことがありませんでした。電話もメールも、一切なし。
しかも、毎月提出する書類には「紹介があれば応じられる」にチェックを入れていたのに、です。
——これは、明らかにおかしい。
普通の思考力が働いていれば、「有利」だなんて言葉には疑問を感じて当然だったはずです。
「社畜という檻」の中で、視野は狭まっていた
なぜ私は、この明らかな矛盾に違和感を覚えつつも、それ以上深く考えることをやめてしまっていたのか?
答えは明白です。
長年、会社員として“社畜という檻”に閉じ込められ、視野を狭められていたからです。
私は転職などほとんど考えたこともなく、「今の会社の中でどう生き残るか」ばかりを考えていました。
その結果、私は「井の中の蛙」になっていたのです。
組織の中の“常識”が、世界の“常識”だと信じ込み、自分で考える力そのものが摩耗していたことに気づきもしませんでした。
気づくまでに3年かかったという重み
「自分の思考は凝り固まっていた」と気づくまでに、私は退職後3年もかかりました。
命を削っていたとまでは言いません。
でも確かに、あのサラリーマン生活の中で、何か大切なものを少しずつ差し出しながら生きていたという実感があります。
思考力、感受性、違和感を抱く力——。
そうした「人としての柔らかさ」を、私は日々失っていたのです。
今なら、こう問い返したい
今の私なら、あの再就職支援会社の担当者に、こう問い返すことができます。
「“長く勤めたのは有利”って言いましたよね?
でも私はハローワークから10か月間、1件も仕事を紹介されなかったんです。
それでも有利って、本当なんですか?」
そう問いかけたら、どんな答えが返ってきただろうか?
想像してみると、こんなパターンが浮かびます。
- 建前で逃げるパターン:「あくまで一般論なんですよ。紹介のタイミングが…」
- 責任転嫁パターン:「希望条件が少し狭いのかもしれませんね」
- 理想論パターン:「長く勤めていたことは、いずれ必ず評価されますよ」
もしあの頃の私がこの返答を受けていたら、「そうですか」と納得したふりをしていたと思います。
それほどまでに、当時の私は思考力を失っていたのです。
思考力を取り戻すとは、「自分の脳を取り戻す」こと
今になってようやく、私は「自分で考える頭」を取り戻しつつあります。
違和感をそのままにしない。疑問を疑問のまま放置しない。
右脳と左脳のバランスがようやく戻ってきたとも言えるかもしれません。
退職後のこの3年間は、「何もしてこなかった空白」ではなく、思考の再構築の時間だったのだと思います。
静かな警鐘——組織は、思考すら奪うことがある
長年サラリーマンとして働くことは、生活の安定と引き換えに、自分の頭で考える力を徐々に失う危険性もはらんでいます。
もちろん、すべての人がそうなるわけではありません。
でも、自分が「思考停止していないか?」と時々立ち止まって問うことは、決して無駄にはならないはずです。
もし今、自分の中に少しでも違和感があるなら、それは心と脳が送る大切なサインなのかもしれません。
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