FIRE生活3年目の真実——「もう働かない」と誓った私が、“少し働こうかな”と思うようになった理由

はじめに

3年前、30年間務めた会社を早期退職し、FIRE生活に入りました。

あの頃の私は「もう2度と働かない」と心に誓い、長年の社畜人生からの解放に幸福感しかありませんでした。特にサラリーマン生活最後の10年は人員削減による業務過多で心身共に疲弊しており、「もう十分やった」と思っていたのです。

しかし、FIRE生活も3年目を迎えた今、かつての自分が想像もしなかった心境に変わってきました。最近では、「少し働こうかな」と思い始めているのです。

FIRE初期の幸福感

退職直後の私は、まさに解放感の中にいました。

目覚ましのない朝、誰にも指図されない毎日。昼寝もOK、旅行もOK、気ままな日々は想像以上に快適でした。

FIREというのはこういう生活なのか!と、日々実感していました。自由とはこれほどまでに心地良いものか、とさえ感じていたのです。

そして“暇”との戦いが始まる

ところが、それはずっとは続きませんでした。2年を過ぎ、そして3年目を直前に控えた頃から、毎日が「空白の時間」に感じられるようになってきました。

私の場合は、朝から情報番組を見て、飽きたら録画していたドラマを流し見し、それでも時間が余るとYouTubeで動画をつまみ食い……。最初はそれなりに楽しかったのですが、だんだんと刺激がなくなっていきました。

なお、FIRE経験者の中には「最初は新鮮だったゲームもやり尽くし、次は映画やネットフリックス漬けの日々・・・といったパターンも多いようです。しかし、それもいずれ飽きてくる。

そしてある日、気づくのです——『もう観たい映画がない』『攻略したいゲームもない』」と。

この感覚は決して珍しいことではないようです。中には数ヶ月で暇に耐えられなくなったという人もいます。

私の場合は3年かかったわけで、それだけ会社員時代の疲弊度が深かったのかもしれません。

「仕事=よくできたゲーム」説

このFIRE生活の3年間、私は実はFX投資にも取り組んでおり、一定の収益を上げることができていました。

当初はそれを「これぞ自分なりのゲームだ」と感じていたのですが、やはり投資というのは波があり、常に先が読めるものではありません。

楽しい面もある一方で、徐々に“怖さ”のようなものも感じるようになりました。うまくいけば利益が出るが、下手をすれば損失も大きい。

そうした不確実性の中で「これをこの先ずっと続けていくのは精神的にしんどいかもしれない」と思い始めたのです。

その点、バイトやパートであれば、慣れてしまえば気は楽です。自分が一定時間働けば、それに応じて時給でお金が入ってくる。この「シンプルさ」が、今の自分にはとても魅力的に映っています。

そんな中、あるFIRE経験者のブログで印象的な一文を見つけました。

「仕事って、実はよくできたゲームなんですよ。」

彼の言うことは、実に的を射ています。

  • 働けば報酬がもらえる(=経験値とゴールド)
  • 毎日違う出来事が起きる(=ランダムイベント)
  • 飽きたら辞められる(=ログアウト自由)
  • そして、誰かの役に立つという“意味”が付いてくる

特にバイトなどの“緩い仕事”であれば、働く時間も自分で選べるという自由度もあります。

なので仕事は「攻略しきれないゲーム」といい表現が、私には妙にしっくり聞こえました。

私は今、緩めの仕事にいくつか応募している段階です。

まだ正式採用には至っていませんし、50代という年齢を考えれば、自分が希望する“ゲーム”にうまく参加できるかどうかも分かりません。正直なところ、手探りです。

ただ、たとえ手探りであっても、ひとつだけ確実に言えることがあります。

それは——今の私は、社畜時代のあの重苦しい憂鬱と比べれば、比べものにならないくらい気楽だということです。

ではなぜ、かつて会社員時代には“ゲーム”と感じなかったのか?

それには明確な理由がいくつもあります。

  • 難易度が高すぎる(理不尽な業務量、責任、評価制度)
  • 攻略法がない(社内政治、空気を読む力)
  • 選べないキャラ(上司も同僚もランダム固定)
  • 離脱不可(終身雇用=強制プレイ)
  • 報酬が割に合わない(努力しても昇給わずか)
  • ゲームオーバー不可(失敗が致命傷になるプレッシャー)

こんな状況で「仕事は楽しい」なんて感じられるはずもありません。

FIRE生活で一番注意すべきなのは「お金」ではなかった

これもまた、前出のFIREブロガーが言っていた印象的な一言です。

「FIRE生活で一番注意すべきなのは“お金”じゃない。“暇”なんです。」

私も今になってこの意味が痛いほど分かります。

時間があるということは、裏を返せば“その時間をどう使うか”が常に問われるということ。

何もしなくてもいい日々は、最初こそ楽園に思えますが、やがてその自由に“責任”が伴ってくるのです。

おわりに

FIRE生活は間違いなく素晴らしい選択でした。

でも、それは“終点”ではなく“新しい章”の始まりだったように思います。

今の私は、少し働くことで生活にメリハリを取り戻し、気持ちよく日々を過ごしたいと考えています。

無理せず、縛られず、少しだけ“やりがい”のある仕事。そんな「ゆるゲー」のような働き方を、次のステージにしたいと思っています。

コメント

  1. ブログの更新ありがとうございます。
    働いてもいいし、働かなくてもいいというのは、実にいいポジションです。
    私も求人サイトをちらほら見ています。もし縁があって働く場所が見つかっても、以前の会社のようなキャラではなく、新しいキャラを演じていけるのは何とも面白そうです。
    退職してから、一度だけ短期バイトをしましたが、仕事は実にいい暇潰しなんですよね。そんなことを言うと、現役の会社員に叱られますけど(笑)

    • コメントありがとうございます。
      私は過去の自分のブログを読み返し、「これほど働くことに嫌悪していたのに・・・時間が経てば人間って変わるんだな」と最近思います。
      仕事が「暇つぶし、よく出来たゲーム」という私が読んだブログの方(セミリタイヤ者)の表現に妙に納得感がありました。

  2. 良い仕事が見つかるといいですね!
    頑張ってください。

    • ありがとうございます。
      50代なので希望した仕事に応募しても採用されるかどうか・・・
      ここが問題です(笑)