正社員とバイトの「仕事の中身」の違いとは?——辞めて気づいた“仕事の原点”

「仕事って、いつからこんなに複雑になったんだろう」

会社員として何十年も働いてきた中で、ずっと違和感を抱いていたことがある。
それは、「仕事」というものが、いつの間にかとても複雑で、面倒で、正体のつかみにくいものになってしまっていたことだ。

毎年のように上層部から聞こえてくるのは、こんなセリフだった。
「現状維持は衰退だ」
「常に改善・改革が必要だ」
「毎年変化し続けなければ他社に負ける」

こうした言葉は、競争社会においては一見まっとうに思える。
けれど、私のようにルーチン業務が中心の仕事をしていた人間からすると、素直に受け取れなかった。

「毎年変化って……そんな革新的なアイデア、毎年思いつく人なんているの?」
「この仕事、そもそも“変えようがない”んだけど……」

そう感じながらも、何かしらの“変化したフリ”を強いられ、形だけの改善案を提出し、意味のないプレッシャーを感じていた。
こういう空気に、心のどこかでずっと疲れていたのかもしれません。

バイトという働き方が教えてくれた“原点”

そんな私が会社を辞めたあと、ふとしたきっかけでバイトを検討するようになった。
そのとき気づいたのが、バイトという働き方の“シンプルさ”だった。

バイトの仕事は、はっきりしている。
「この時間に来て、これをやって、終わったら次をやって、それで終わり」
つまり、自分が供給した“時間”の中で、言われたことを忠実にこなせばいいのだ。

その結果として、決められた時給がもらえる。
評価もなければ、上司の顔色も関係ない。終われば「おつかれさまでした」で解放される。

私はふと思った。
「仕事って、本来こういうものだったんじゃないか?」

“時間”という自分のリソースを差し出し、その対価として報酬を得る。
極めてシンプルな価値の交換。そこには、無駄な感情や忖度や社内政治の入り込む余地はない。

そして、私はようやく気づいたのだ。
ああ、自分は“仕事の本質”を長らく見失っていたな……と。

長年、会社という“組織”の中で働いていると、
いつしか仕事の評価とか、空気の読み合いとか、人間関係とか、そういう“本質以外の要素”にばかり意識が向いてしまう。

すると次第に、仕事って本来どういうものだったのか?という感覚を忘れてしまう。
そして、忘れていたことにすら、なかなか気づけない。

私も、会社を離れてからしばらく経って、ようやくその「見失っていた感覚」に気づけたのだった。

それでも正社員が辞めにくい理由

ただ、もちろんバイトには弱点もある。
一番はやはり、得られる対価が少ないということだ。

会社員時代に比べて、バイトの収入はどうしても少ない。
賞与もないし、福利厚生も限定的。将来への不安を考えれば、“正社員でいた方が安心”という気持ちはよくわかる。

だからこそ、多くの人は会社を辞めたくても辞められずに悩むのだと思う。
複雑で苦しい構造に縛られていても、そこから抜け出す代償(=収入の減少)が大きすぎるから。

でも、私はこう思う。

もし今、「何のために働いているのか?」「自分にとっての仕事とは何か?」と真剣に見直している人がいるなら、
一度バイトのようなシンプルな働き方に触れてみるのも、悪くない経験になるはずだ。

シンプルで納得感のある“仕事”

私は長い会社員生活を経て、早期退職を選び、バイトや短期の仕事を検討する中で、ようやく“仕事の原点”のようなものに気づくことができた。

確かにバイトは時給も低いし、社会的ステータスもないかもしれない。
でも、“やるべきことが明確で、納得感がある”という点では、実はとても優れている。

「仕事とは何か?」という問いに、正解はない。
でも私は今、少なくとも“自分が納得できる働き方”を優先しているという実感を持てている。

それが、会社を辞めて得られた一番の収穫かもしれない。

コメント

  1. ブログの更新ありがとうございます。
    私の会社でもルーチン業務を下に見る人がいました。出世欲があって、社内政治ばかり気にしているような人達が多かったです。仕事はシンプルなもので、究極を言えば、お金さえもらえればいいはずなのに。
    飲み屋さんで、ああでもない、こうでもないと議論している会社員を見ると、本当に面倒くさいなと思います。

    • コメントありがとうございます。
      出世欲のある人、確かにいましたね(笑)。
      ただ、そういう方も何かのきっかけで会社を追われた時に気付いているかもしれませんね。
      「自分の力なんて所詮この会社だけしか通用しないものだった・・・」ってな感じで。

  2. 今日の読売新聞朝刊の記事に、定年後の再雇用で、大幅ダウンする月給が、「60歳の崖」と呼ばれるとありました。
    崖に直面した当事者の心境として、「仕事のモチベーションが下がった」、「会社への忠誠心が下がった」、「自分の価値が下がったように感じた」とあり、見過ごせない課題のようです。
    でも、ある意味仕方ないと、私は思ってしまいました。
    中でも、60歳の会社員の労働価値は、一部の特殊な技能や資格、経験をもっている人以外は下がって当然と考えるのは間違いでしょうか?
    それを受け入れないのは、思い上がりのような気がしてならないのですが。

    • コメントありがとうございます。
      現役のサラリーマンを長くなっていると、自分を客観的に見ることも難しいかもしれませんね。
      一度リタイヤすると冷静に世間のことも分かってきて、リタイア王子さんの仰るように60歳の会社員の労働価値は下がって当然と認識出来るようになっていくのかなと。
      ちなみに会社が60歳以上の再雇用者に与える仕事も、給料が下がった分だけ責任も軽い業務にすべきだと思いますが、実態はどうなんでしょうね?(笑)。