私は早期退職後、自分の生き方について漠然としたモヤモヤを抱えていました。そんな中、ある方のブログで心に残る一文に出会ったのです。
「昭和時代に一人前と認められる状況——妻子を持ち、マイホームを持ち、会社員として家庭を支える——は、高度経済成長という果実があったからこそ成立していた。」
この言葉を目にしたとき、なぜか気持ちがふっと軽くなるような感覚がありました。
別に今の自分を責めていたわけではありません。
でもどこか日々、心の奥にモヤモヤしたものや、漠然とした活力の湧きにくさを感じていた自分にとって、その理由が少し見えた気がしたのです。
早期退職後に気づいた「一人前像」の呪縛
私は昭和の終わりから平成初期に社会に出ました。
その頃はまだ、高度経済成長時代の価値観が色濃く残っていて、子どもの頃から「大人になればこうならねばならない」と刷り込まれて育ったのだと思います。
高度経済成長期の会社員の中は、当然ながら全員が出来のいい会社員ばかりではなかったはずです。出世できない人も多かったでしょう。
でも「会社にしがみつく」のが当たり前で、窓際族なんて言葉もありながら、とにかく会社に行ってさえいれば人生が保証されていました。
そういう親世代を見て育った私たちの世代には、そんな考えが多く残っています(事実、私がそうでしたので)。
でも今の社会は、会社がもう「しがみつかせてくれない」ものになっています。
子どもの頃から会社員の人生とはそういうものだと教えられて育った人の中には、社会人になって時代の変化について行けず、早期退職後にあれこれ悩むことも多いのではないでしょうか。
今の時代、一人前像を満たせるのはごく一部
そんな風に社会の構造を改めて考えてみると、今や昭和の一人前像をそのまま満たせるのは、ごくわずかの人(幹部層や経営者など)だけなのだと感じます。
それ以外の大多数の人が、その基準に届かないのは、むしろ自然なことなのだと。
自分もその大多数の一人に過ぎないのだと思ったとき、うまく言葉にはできませんが、心の奥にあった小さなモヤモヤが、ほんの少し和らいだような気がしました。
これからの生き方、社会が変わることを願って
早期退職後、住宅ローンや生活資金の不安が消えたわけではありません。
50代でバイトやパートをしようとすれば、恥ではないと思っていても、周囲との年齢差や職場の空気に不安を感じることもあります。
だからこそ、社会全体で「高度経済成長という果実の上にあった一人前像」を手放し、新しい時代の一人前像を作っていく必要があるのではないでしょうか。
自分自身もまた、その流れの中で新しい生き方を模索していこうと思っています。
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