苦痛で仕方なかった会社での仕事の正体は?

このページに辿り着かれた方の多くは、会社員時代の仕事が苦痛で、死ぬほど嫌だったと思います。

ただ、嫌でもその状態から抜け出す術が見つけられず、仕事だから仕方ない、と言い聞かせて何とか1日1日を切り抜けていた、という会社員時代だったかと思います。

会社では「前向きに働け」という無言の圧をかけられる

会社という組織にいると、「仕事は前向きにしなければならない」、「仕事は楽しまないと損」、「積極的に仕事に取り組む姿勢を見せないと評価されない」という雰囲気が蔓延していることが分かります。

ただ、そういう雰囲気は精神的にかなりしんどいです。

また、私はそもそも「仕事」というものにずっと違和感を感じていました。

若い頃、上司から「○○君は今後どういったキャリアを進みたいの?」といったことを、面談の場で聞かれるのが苦痛で仕方ありませんでした。

理由は単純で、「そんなものはない」からです。

自分が会社で働いていたのは、会社に行かないと生活出来ないというたった一つの理由だけで、どうなりたいかと聞かれれば、「しんどいことは避け、楽な仕事でそれなりに給料をもらえる状態が維持出来ればそれでいい」、って感じでした。

もちろん、そんなことは言いません(言える雰囲気ではないです)。

会社という組織でそんなことを言えば、「アイツはやる気がない」と思われ、異動や左遷で雑に扱われるのが嫌でしたからね。

ただ、「仕事」というものに何の魅力も感じないという思いは、何も特別に間違っていることではない、ということを教えてくれた本がありました。

その本は、「仕事なんか生きがいにするな」です。

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)

会社員がやっているのは「仕事」ではなく「労働」

この本を読み、私は長年の心のモヤモヤが消えた気がしました。

本を読んで、スッと腹に落ちたのは、これまで会社員時代に「仕事」と思っていたことが、「労働」だったということを気付かせてくれた点です。

この本の68ページに、「仕事」と「労働」の違いがこう書かれています。

仕事・・・人間ならではの永続性のある何か、例えば道具や作品のようなものを生み出す行為

労働・・・人間が動物の一種として生命や生活の維持のため、必要に迫られて行うような作業

つまり、今のサラリーマン社会というのは、後者の「労働」をやらされているのです。

これが認識出来れば、そもそも「労働」が面白いはずはなく、むしろ苦痛と感じる方がまともな感性だという理解が出来ます。

そして、これこそが今回のタイトル「苦痛で仕方なかった会社での仕事の正体」だと、私は理解しました。

なので、会社員時代に「仕事にやりがいを持て」「仕事の中に楽しみを見つけろ」、的なことを言われても、まったく心に響かなかったのは、いわば当然のことだったというわけです。

産業革命以降に「仕事」は凋落した

このあたりの話からは、そもそも我々が生まれる前にすでに哲学者が提唱していた話になってきます。

「仕事」と「労働」という表現の違いについて、この本ではハンナ・アレントという哲学者の考えを紹介しています。

産業革命による機械化によって、それまで「仕事」だったものが「労働」に置き換えられた。その結果、「消費者社会」が生まれ、労働者は歯車のような労働に従事させられるような社会が生まれた・・・

会社員時代、消費社会を前提とし、経済を第一に置いた価値観が美徳とされていると感じる場面は多々ありました。

効率よく利益をもたらす手法や、ヒット商品を生み出した社員は、「仕事が出来る社員」として称賛されました。

ただ、こういった価値観も、仕事が凋落してしまった「消費社会」での称賛でしかなく、そもそも何の値打ちもないわけです。

日本人は勤勉だと世界的に評価されているそうです。

勤勉で指示されたことを忠実に守る日本人というのは、今の資本主義社会の世の中においては、資本家からすれば忠誠心を持って文句も言わずに働いてくれるということで、非常に扱いやすいのでしょう。

会社の経営陣からすれば「労働」を「仕事」と勘違いさせ、一生懸命会社に忠誠心を持って労働してくれる社員ほどありがたい存在はいないでしょう。

しかも低賃金でも文句も言わずに働いてくれるならば尚更です。

さて、もし会社で働いている時代、こういった資本主義社会のからくりに気付き、上司が、「自分たちは労働させられるている側だ」という認識を持って部下をリードしてくれていたならば、気持ちが楽に働けたのではないかと振り返っています。

「我々労働させられる側は、経営陣に都合のいいように使われてはいけない。給料が少ないなど、納得がいかなければ時にはストライキなども敢行する。そんな時、管理職の自分が率先して部下である君たちをリードする」など、経営陣と対決姿勢を持ってくれていれば、まだ「労働」させられているという虚しさや空虚さからは軽減されたかもしれません。

ただ、私が会社員時代にみた上司に、そんな人は1人もいませんでした。

自分も「労働者」であることに気付かず、部下より少し偉いだけで威張って、部下を仕事で追い詰めるタイプがほとんどでした。

よく考えてみて下さい。「労働者側のトップ」でいくら頑張っても、絶対に彼らは資本家になれないんです。

なのになぜ労働者のリーダーとして資本家に対抗しないのか?

おそらく自分を「エリート」だと勘違いしているのでしょう。

部下に寄り添うこともせず、上ばかり見て部下をうつ病に追い込んでも何も思わない・・・

「労働」という場がしんどいのは、こういった環境だからです。

私はこの本に、47歳の頃出会っていました。

当時、読んだ後には目から鱗が落ちた気がして、自分が会社でしていることが「仕事」ではなく「労働」で、それ自体がつまらないのは当然だという感性が間違っていなかったことを知って、安心しました。

ただ、サラリーマン時代はそこで思考が止まりました。

そんな思いを持っても、それを何も行動に移せないのです。

自分がやらされているのは「労働」だ、と分かっても、会社という組織に行けば、1人だと何も変えることは出来ません。

今思うと、そんな絶望的な状況を変える手段はただ一つ、その場から逃げるしかない、と思います。

ただ、47歳当時、私はそれが出来ませんでした。

会社という場が、我々労働者からエネルギーを奪う要因は、以前に記事を書いたことがありますが、会社という場所に行くと、手錠をかけられたようになり、一気に気力が萎えるのです。

 ⇒ 会社という組織は人のエネルギーを奪う

なのでせっかくいい本を見つけたのにその後、数年間本棚に眠らせてしまったままでした。

また、この本の178ページに、『私たちは、もはや「何者かになる」必要などなく・・・』と述べられている箇所があります。

これを読み、会社員時代に上司から「○○君は今後どういったキャリアを進みたいの?」と言われ、ずっと返答に困っていた自分が間違っていなかったんだ、というふうに解釈出来て、救われた気持ちになりました。

本の一部を切り取った紹介なので、読まれた方個々で解釈は違うかもしれない点はご容赦下さい。

私は改めて早期退職してこの本を読み、「労働」という歯車(もしくはそれ以下)のようなことをさせられる状況から抜け出せたことに、感謝しかありません。

また、現役のサラリーマンの方が、ホントに気の毒です・・・

  1. 私も、会社に行かないと生活出来ないあの頃には二度と戻りたくないですね。若くて経済力がなく、老後資金もままならず、騙し騙し会社に通うしかないあの頃のメンタルにはもうなれませんね。

    • コメントありがとうございます。
      辞めたくてもお金が心配で身動き取れなかったのが、ホントにしんどかったです。
      日本もベーシックインカムを導入して欲しいです。

      • 返信ありがとうごいます。結局お金ですよね。私も10年に1回ぐらいメンタルが危なかったことがあります。それでも会社を転々としていると待遇も不利になり、結果的に老後の年金にも影響するのがキツイですよね。生活保護以上にベーシックインカムで生活が保障されたらいいですよね。もう逃げきれたと思っているんですが。

        • コメントありがとうございます。
          自分の場合、割増分があったのでまだよかったですが、世の中には割増分なしで早期退職せざるを得なかった方もたくさんいることを辞めてからネットなどを見ていて知るようになりました。
          そんな場合は年金もらえるまでの生活がままならなくなりますが、そんな場合の補償が失業保険しかないのはおかしいと思います。
          50歳を過ぎて尚、もう1回老体に鞭打って働いて自分で年金までの生活費を稼げと促す日本って・・・・そんなにいい国ではないですね。

          • 退職金も減っていく傾向ですし、潤沢な年金をもらえる人も少ないようですね。そうなればいくつになってもリタイアできませんね。働くのが好きな人はいいですけど、国民年金だけの人は月額65,000円程です。自己責任ということなんでしょうね。

          • コメントありがとうございます。
            「自己責任」という表現はよく聞きますが、この表現を聞くたびに国民に冷たい国だなと感じますね。
            マスコミも平気でこの表現をよく使いますし・・・

  2. 政府は年金をあてにしてほしくないせいか「貯蓄から投資へ」と投資を煽っていますが、「くれぐれも投資は自己責任で」とは言いませんね(笑)。
    私も投資を続けていたら、この度の日銀の金融政策の修正、事実上の利上げで1年分の生活費の評価損を食らうところでした。

    • コメントありがとうございます。
      「貯蓄から投資へ」は、確かにやりませんよね・・・
      自分が収入がなくなる身になってよく分かりましたが、収入がなくなるのに減るかもしれない投資をする高齢者が増えるはずがないですよね。
      「たんす預金」する高齢者の気持ちも理解出来るようになりました(笑)。